弊社で行っている木村式自然栽培は、奇跡のリンゴで有名になった木村秋則さん考案の自然をいかした栽培方法です。
では、そのリンゴはどのようにして誕生したのでしょうか。
木村秋則さんについて
木村秋則さんは、青森県出身で高校卒業後に一度は一般企業に就職をしましたが、1971年に帰郷しリンゴ栽培をはじめました。
奇跡のリンゴづくりのきっかけになる美千子さんと結婚し、木村姓となりました。
奇跡のリンゴづくりのはじまり
木村秋則さんの就農当時、リンゴの栽培には農薬が当たり前でした。
年に何度も農薬を散布し、病気や害虫の発生を抑えなければなりませんでした。
夫婦二人三脚でリンゴ栽培をしていましたが、木村さんの妻:美千子さんは体調を崩してしまいます。
美千子さんは、農薬に過剰反応する体質だったのです。
農薬を使わない栽培方法
美千子さんの体を案じた木村秋則さんは、愛媛県出身の農学者である福岡正信氏が「不耕起、無肥料、無農薬、無除草」を特徴とする自然農法について書いた著書『自然農法』を参考にして木村さん独自の無農薬のリンゴ栽培を考えはじめました。
はじめは農薬をまく回数を年10回以上だったものを5回に減らし、その次の年には更に減らした3回に。
さらに翌年には1回にまで減らしました。
農薬を使わないことによる病害虫の発生は防げず、収穫量は落ちてしまいました。
しかしながら、農薬にかかる費用が抑えられたのでトータルでの収益はそこまで悪くなく、なんとかやっていける状態でした。
本格的な農薬不使用栽培の開始
1978年(昭和53年)、木村秋則さんは本格的な農薬不使用栽培を開始しました。
日本の気候では、病害虫も発生しやすく、毎日手作業での害虫駆除なども重労働でした。
農薬不使用栽培に切り替えてから、通常は5月開花するはずが9月開花になり、ほとんど結実もせず、
結実しても小さなものになってしまい出荷できる状態ではありませんでした。
何年もの間、農薬不使用でのリンゴ栽培は収益に繋がりませんでした。
長年の取り組みが「実」を結ぶ
ある日木村秋則さんは、山にある樹木の周辺の根の張りが、自分のもつ林檎畑と異なることに気が付きました。
今まではリンゴの樹木にばかり気を取られていましたが、本当に大事なのは土の中だときがつきました。
リンゴ栽培をしながら畑で野菜類をつくっていたので、大豆の根粒菌の作用による土作りの知識がありました。
農薬不使用栽培6年目に、木村さんはりんご畑に大豆をまいて育てることをはじめました。
その年は農薬不使用栽培をはじめてからと比べて、落葉が少なくなりました。
翌年には、さらに落葉が減りました。
そして9年目、ついに木村さんのリンゴの木々にリンゴの白い花がたくさん咲くようになりました。
木村秋則さんの長年の努力がついに実を結んだのです。
こうして木村さんが確立した木村式自然栽培のリンゴ生産は、慣行栽培の農家からは「不可能だ」と言われてきました。
木村式自然栽培の評価
弘前大学農学生命科学部の杉山修一(現教授)さん は「(リンゴの農薬不使用栽培は)恐らく世界で初めてではないか」と評価しています。
現在、日本中に木村秋則さんの自然栽培を広めようと活動している木村式自然栽培実行委員会等ができています。
また、木村式自然栽培の商品を専門に扱うお店もできています。